少年とフィッシュ&チップス【英国紀行3】

数年前(といっても前世紀末ですが)の話です。

スコットランド各地にて、約10日間のウィスキー蒸溜所巡りを終え、経由地であるロンドンに戻ったある夕方の出来事です。その事を思い出すたびに、なんだか今だに切なくなります。

その日の晩は、部屋で軽く食事を済ませようと、近くの持ち帰り専門のフィッシュ&チップスの店に入りました。先客に13〜4歳くらいの少年がひとり、注文の品が出てくるのをソワソワと楽しそうに待っていました。

食べ盛りの年齢であろうし、このあとに友達と会う約束があるのか、それともサッカーの練習の前の腹ごしらえ、といったような様子が、微笑ましく伝わってきます。やがて、待ちわびた注文の品が、カウンター越しに少年の手へ渡され、備え付けの調味料(塩コショウやビネガーなど)で味付けをしたあと、その悲劇がおきました。

フィッシュ&チップス画像

東京・南青山のパブ「ヘルムズデール」のフィッシュ&チップス

なにかの拍子に、少年の魚フライがボトッと落ちたのです。小さく鋭く、それでいて切実な悪態の言葉が少年の口から発せられました。

一瞬ののち、後ろに並ぶ私は考えました。私の分をゆずってやるお節介を焼くべきか、いや、ここは店の親父が、気を利かせて太っ腹なところを見せてやるのが、一番いいのじゃなかろうか…などなど。


でも店の親父は非情でした。否、商売人でした。「おや、残念でした」というような一瞥をくれるだけです。見守るしか術のない私の前で少年は、悔しさと決まりの悪さ、それに見ず知らずの東洋人に見られた恥ずかしさとで、落ちたフライをさっと拾いあげました。

どうするかと見守っていると、少年は店を出て、向かいの道路の脇にあったゴミ箱に、紙袋ごと叩き付けるように投げ捨て、やがて、店の中にいる私からは見えなくなりました。私の分が出来あがるのを待つ間、なんの責任もない店の親父ですが、なんとも業突くばりに見えてくるのには困りました。

私はと言うと、なにごともなく無事に受け取って宿に戻ったのですが、さきほどの出来事を妻に話しつつ食したフィッシュ&チップスの味は、調味料がいらないくらい、何だか塩っぱく感じたものです。

今ではとっくに成人したであろう、かの少年は、あの時の出来事を思い出すたびに、切なく胸を痛めている日本人がいるとは想像もしていないことでしょう。

オレンジ便り 2007年 1月配信分

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