イタリアのアッシジに旅行した時の話です。
我々夫婦は、その小さな町の小さな広場に面した宿に泊まっていました。ある朝の8時か9時ごろ、重低音の中に甲高く抜ける音が交じる、ものすごい音響で目を覚ましました。なにごとかと表へ出てみると、そこにはフェラーリフェラーリフェラーリフェラーリ……。5台や10台ではききません。どうもフェラーリ愛好家たちによる、大規模なレースが行なわれており、その朝はちょうどアッシジの広場がスタート地点だったようです。
広場には、陸上競技場でよく見るようなデジタル表示の大きな時計が設置され、そして、スタートの順番を今かと待っているフェラーリの大群は圧巻でした。東西に延びる細い道のはずれまで一列に並ぶフェラーリは、クラシックな車種から新しいタイプまで様々、ボディーの色は青や黄がポツポツあるものの、9割方はおなじみの鮮やかな赤です。
ドライバーとナビゲーターの二人一組が基本で、組み合わせは男性同士や夫婦、恋人、愛人関係などなど。そして多くの見物人に見守られながら一台ずつ、一定時間ごとに出発して行きます。ボンネットを開けて調子をうかがうフェラーリを覗き込んだりして我々も楽しみながら、やがて120台ほどのフェラーリは次なる目的地を目指して走り去って行きました。
さて、ここまでのお話は序章です。
日中、私達は散策などで過ごし、夕食後は、まだまだ大勢の人々で賑わう広場で腰掛け、夕涼みをしていました。すると、制服を着た数人が、朝方に見たデジタル時計を設置しはじめました。なんだろうと思っていると、そこに1台のフェラーリが現れました。
「ははは(笑)、12時間遅れのフェラーリだ」と、周りの人々も囃し立てます。窓を開けたままのフェラーリに乗る、おそらく夫婦であろう二人は、苦笑いしながらも係員に行き先の方向を教わりつつ、照れ隠しにサッと手を振り、やがて去って行きました。
「トラブルに遭ったか、さもなければ、よっぽどの方向音痴だ」といったような、イタリア語は判らないながらも、ニュアンスとしてはそんな風な話を、周りの人たちも話しておりました。
そして5分後。
なんと先程走り去った方角とは逆の、つまり最初に現れた道から走ってくる重低音は、さっきのフェラーリでした。今度こそ広場中は、大爆笑の渦でした。5分前と明らかに違う、怒った顔の奥さんが印象的でした。運転席の旦那さんも、さっきのような愛想よさを見せず、ムスッとしていました。今度は、係員のバイクに先導されながら、まだ興奮の冷めやらぬ広場を、フェラーリはブオンッ!とアクセルをひとつ吹かせて、視界から消えました。
少し待ってみましたが、さすがにもうアッシジには戻ってきませんでした。期待してたのに。
オレンジ便り 2007年 10月配信分
追記:画像は、なんだか偶然にも妙にマッチしてますが、あの時のスタート前のフェラーリを写した写真と、私の息子が持っているフェラーリのミニカーとを一緒に撮った合成写真です。